先月20日に発行された第二句集『丹青』を手にして「私の50代のすべてです」と岩永佐保さん。師である藤田湘子さんはその帯文に「著者のまぎれない成長を示す、恰幅の見事な一巻である」と評した。
岩永さんが俳句に出会ったのは20数年前、夫の転勤に伴い移り住んだ松本でのこと。不慣れな土地で閉じこもりがちになる自分を遊ばせたいと思い、成人大学を訪ねてみた。しかし、やりたかった墨絵教室はすでに満員。仕方なく、俳句を嗜んでいた父親の影響もあり、俳句教室に入会。独身時代は童話を書いたりしていた岩永さん。結婚後はシナリオ、楽器、絵なども習った。どれも一生懸命やったがなんとなく違う。心から打ち込めるものが見つからない。自己表現をしたい、何か書きたい。そんな衝動に駆られていた。
「でもね、一通り習ってみて、私には俳句は合わないと思ったんです。こういうものか、もうわかったという感じでね。私は30代でしたから、俳句は古すぎると思っていたんです。とても生意気ですよね(笑)」
◆ 俳句に決めた
そんな岩永さんが俳句の奥深さに魅了されたのは、松本時代の先生の師匠、藤田湘子氏の一句を読んだからだった。
悲しみは去りぬマントの如きもの
「詩の一編を読んでいるような感じがしましてね。ひょっとしたら私の俳句の捉え方が違っていたのかもしれないと気が付いたんです。東京に戻る時、藤田先生に『俳句を続けていくのなら僕のカルチャー教室にいらっしゃい』と言われまして、改めて、本格的に勉強しました。それが始まりでした」
一見物静かでおっとりした岩永さんだが、これだと思うものに出会うとどんどん突き進んでいく。絵の道に心を残しながらも、俳句を「これだ!」と決めた。
「俳句はものを言えない文芸だというのがあるわけです。ものを言わずして宇宙を表現するとか、情景や心情を表現するとか、いろいろなことができます。そのあたりにきっと惹かれたんだと思うんですよ」
「俳句の世界には、独特の約束事がいくつかあります。五・七・五の定形を守り、季重なりや意味で俳句を作らない、などです。そのひとつひとつのことを初心者の人にわかりやすくお教えするのは、なかなか大変なんですが…」と心地良い声と話し方で俳句の魅力を次々語る。カルチャーセンターなどで、岩永さんに俳句を師事する生徒さんは長く続ける人が多いというのも頷ける。
◆ 俳句は人を狂わせる
この20年間に2万以上の句を作ったという。言葉が出なくて困ったことはないのだろうか。
「苦しい時はあります。満足を得る句ができたと安堵ばかりしていられません。逆に次の句にかかる時がとても苦しいですね。ひょっとして私はもう書くことができないのではと、思う時があるんですよ。そこを抜け出すことができるのは俳句の仲間がいるからです」
仲間と外に出て句を作る吟行会では、2時間歩いて10句作ったりする。歩いているこの瞬間は、二度と得られない。
「楽しいけれど、自分の中ではある緊張をもって句材を探します。今日ここに私が立ったがために授かる句、というのがあるんですよ」。そんなふうに句を作るとまた生き返るという。
「不思議なんですけど、時には言葉の神様がこのへん(肩のあたり)に乗ることがあるの。その時は、もうこれで完成とわかるんです」
また、句作のためには観察が欠かせない。「じーっと見ることによって視覚で捉えたものが、心まで浸み入り深く認識できたら、どこかの詩の扉がちらっと開くような気がする時があるんですよ」。
現場での時間や観察を大事にするという岩永さんの姿勢は、本人自身でも思いがけず大胆な行動をとらせることがある。
今年の夏にでかけた花巻でのこと。筆記具を何も持たずに朝の散歩に出ると、連なる山々を背景にした北上川には白鷺が降り、川面に浮いたリンゴには鴉が取り付いているではないか。その場でなければ出ない言葉が次々と沸いてきた。これはなんとか書き留めたい。常軌を逸していると思いながらも、近くの民家に飛び込み事情を話し、紙とペンを分けてもらったという。
「俳句は人を狂わせますね」と笑いながら、岩永さんはどこまでもたおやかだった。
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