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和紙はり絵で、20年間
「日本の自然を描く展」に入選
小澤 貞子
おざわ さだこ 1914.12. 1生
愛川町出身 津久井町在住
プロフィール
■1914年(大正3年)愛川町に生まれる
■1980年〜1986年 塩田聖峯氏に和紙ちぎり絵を師事
■1987年 横浜にて長男と「親子二人展」
■1988年 第1回上野の森美術館『日本の自然を描く展』
に出品し、入選。以後、現在にいたるまでの20年間、欠かさず出品し、入選し続けている。
■1990年 第3回同展 佳作入賞
■1991年 第4回同展 優秀賞入賞
■1992年 玉川学園にて「親子二人展」
■1997年 第10回『日本の自然を描く展』佳作入賞
■2002年 横浜にて「親子二人展」
●上野の森美術館『日本の自然を描く展』
毎年5〜6月に公募、8月頃に展示が行われる。
上野の森美術館/台東区上野公園1-2
tel.03-3833-4191
| 「みーんないい人。世の中、悪い人なんていないもの。みんな自分の子どもみたいよ。ああ、もう孫かしらね。この歳だから(笑)」 |

↑2007年の入選作『希望』

↑第1回(1988年)入選作『津久井湖本沢ダム(水鳥)』

↑1989年『親子二人展』右から2番目が小澤さん、一番左は長男の史雄さん
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第20回上野の森美術館『日本の自然を描く展』に、今年、小澤貞子さんは20回目の入選を果たした。富士山や津久井の風景を、薄い和紙を重ねて表現する。深く繊細な色合いで描かれたおおらかな絵は、見る人を魅了し、心を和ませる。
◆ おっかさん、お元気ですか?
富士山を上空から写したその絵葉書の送り主は、以前小澤さん宅を訪ねた行商人。「大変だね」とお茶をすすめられ、以来親しみをこめて小澤さんを『おっかさん』と呼ぶ。この葉書の富士山をモデルにした絵は、『第3回 日本の自然を描く展』で佳作賞をとった。
「そういうね、人とのつながりが、いいの。みんな息子のような気がするの」
そう話す小澤さんのことを「誰とでも、すぐ知り合いになっちゃうの」と長女が笑う。御歳92歳。おしゃれを楽しみ、爪にはピンクのマニキュアが塗られている。温かな優しさのにじむ人柄に、知り合った誰もが『小澤さんの知り合い』に仲間入りしたくなってしまうのだろう。
◆ 和紙を重ねて 色を作る
小澤さんが描く『和紙はり絵』は、チリ紙より薄い和紙を何枚も重ねて微妙な色合いや質感を表現する。66歳からちぎり絵を習い始め、試行錯誤を重ねてたどりついた手法だ。
'87年、美術教師の長男とともに二人展を開く。夫を亡くしたばかりの小澤さんに心の張りを持って欲しいと、娘・息子たちからの提案で実現した。
翌年、長男のすすめで『第1回 日本の自然を描く展』に出品。澄み切った津久井湖の風景を描いて入選。以降、富士山や津久井の自然を描き、20年間欠かさず入選し続けている。
昔から絵を?と質問すると、
「小学校の時、絵を貼り出されたの。美術の先生がね、学校を出たばかりでかっこよかったから、一生懸命(笑)」と、はにかんだ
◆ 戦争なんて、ちっとも
愛川町に生まれ育った小澤さんは、4人姉妹の3番目。父親の希望で、長女を除く3人が看護婦となった。横浜の病院で働き、25歳で7歳年上の夫と結婚。3男2女をもうける。
「結婚した時、お姑さんが62歳。肺炎で今日明日の命って状態でね。何も知らずにお嫁に来て、その日から看護。結局86歳で亡くなったけど、いいお義母さんだったのよ」
次男が生まれたのは昭和19年、空襲警報が響く中、ろうそくの灯りでの出産だった。その後、空襲で家を焼かれ、夫の故郷である津久井に移る。
当時の御苦労を伺うと、
「戦争なんてちっとも覚えてないよ。ちっとも怖くなかったもの」
と、こともなげに話す。
姑の看護と戦中戦後の子育て。その辛苦は察するに余りあるが、「運命だよね」と笑う。
◆ 「希 望」
孫の世話が一段落した小澤さんは、ひとり暮らしの高齢者に食事を配るボランティア団体『津久志会』の創立メンバーとして忙しい日々を過ごした。根気が必要な『和紙はり絵』に専念したのは、ボランティアを引退してから。今は、出品のための作品と、小さな作品を少しずつ、制作している。
今年入選した、赤富士を描いた作品のタイトルは『希望』。
「だって、これからだもの。まだまだこれから。だから『希望』。展覧会だって、落ちちゃ困るでしょ(笑)」
毎年、出品した絵で絵葉書を作る。
「赤富士は、西向きに飾ると幸せがくるの。あたしなんか、いつも幸せ。持って行って、幸せがくるわよ」
その言葉と笑顔に、幸せをたっぷり、いただいた気がした。
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